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怪談と自然災害…焼津の2つの展覧会[2]静岡福祉大学附属図書館「小泉八雲と自然災害」展

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、「地震と国民性(Earthquakes and National Character)」を神戸の新聞記者時代に書いたのち、「稲むらの火」の原作としても知られる「生き神(A Living God)」を著し、津波(tsunami)という言葉を世界に広めました。焼津市の静岡福祉大学附属図書館で開催中の「小泉八雲と自然災害:ヘルンさんからのメッセージ」展は、八雲と自然災害とのかかわりに光をあてるとともに、八雲が生きた時代の国内外の自然災害の記録を紹介する展覧会です。

富山大学「ヘルン文庫」で発見された"The Great Disaster in Japan, 15th June, 1896"の複製とその翻訳を、手にとって読むことができるコーナー。

昨年、八雲会会員の中川智視さん(明治大学兼任講師)が、八雲の蔵書を一括収蔵する富山大学附属図書館「ヘルン文庫」での調査の過程で、明治三陸地震に関する英文のリーフレット”The Great Disaster in Japan, 15th June, 1896″(「日本での大災害 1896年6月15日」)を発見したことが、『読売新聞』富山版(2011年10月1日付)で報じられました。この記事はインターネットでも配信され、富山県内や八雲研究者の範囲を越えて話題となりました。このリーフレットは、英字新聞Japan Gazetteの記者が、1896(明治29)年6月に発生した明治三陸地震と大津波で被災した岩手県の釜石を取材した際の記録で、本展では同資料の複製が、中川さんによる日本語訳とともに公開されています(同資料については、八雲会誌『へるん』第49号に中川さんによる紹介記事「ヘルン文庫から見つかった明治三陸沖地震の資料」を掲載していますので、あわせてお読みください)。

八雲が足跡を残した土地で発生した自然災害も取り上げられています。2005(平成17)年のハリケーン「カトリーナ」による被災が記憶に新しい、ミシシッピ川のデルタ地帯の都市ニューオーリンズにみる、土地環境と水害の関係。マルティニークの28,000人の都市サン・ピエールに生存者2名という壊滅的被害をもたらした1902(明治35)年のプレー火山噴火にみる火砕流災害。そして、宍道湖の水を中海へと送る大橋川の両岸に発展した城下町・松江についても、しばしば見舞われてきた洪水の年表が掲げられていました。

安政大地震の後に出回った鯰絵など、江戸時代後期から幕末にかけて描かれた絵では、地震を起こす鯰や地震虫が、鹿島大明神によって要石で押さえ込まれている。

また、八雲が生きた時代の日本人が、地震の起こる仕組みをどのように考えていたか、災害の記録をどのように残したかを知ることができるのも、本展の特色です。八雲5歳の年、安政2(1855)年に江戸襲った安政大地震の後に出回った鯰絵(なまずえ/原資料は国立科学博物館蔵)には、地震を起こした江戸の鯰が、鹿島大明神の命を受けた神に要石(かなめいし)を打ち込まれながら命乞いをし、大坂や越後など諸国の鯰もそれぞれ誓いを立てたり許しを請うたりする様子が、ユーモラスに描かれています。

現代の“幻灯”ともいえるパソコンにスライド表示される「明治三陸大津波(幻灯版)」。

一方、明治三陸地震津波を描いた「大海嘯極惨状之図」(原資料は国立科学博物館蔵)や、「明治三陸大津波(幻灯版)」(原資料は仙台市博物館蔵)は、テレビも映画もなく、新聞でも写真が多用される以前の時代における、視覚媒体による被災状況の克明な記録であるとともに、その伝達方法をも示しています。

富山大学「ヘルン文庫」や富山八雲会の紹介を含め、八雲の作品・関連書を紹介するコーナー。

本展では、”The Great Disaster in Japan, 15th June, 1896″を所蔵する富山大学「ヘルン文庫」と、富山八雲会によるちりめん本翻訳プロジェクトもあわせて紹介され、八雲と富山のかかわりを知る機会にもなっています。東京の八雲の遺族の手で管理されていた八雲の蔵書が富山にもたらされたきっかけは、1923(大正12)年の関東大震災。蔵書を安全に保管できる学校に一括譲渡したいとの遺族の意向に応えたのが、当時創設準備中だった富山高等学校、現在の富山大学でした。関東大震災を境に富山に移った蔵書の中から、八雲の自然災害への強い関心がうかがえる資料が、東日本大震災が発生した年に見出され、八雲が愛した焼津の地で公開される……。小泉八雲と自然災害の不思議な縁を感じずにはいられません。

「小泉八雲と自然災害:ヘルンさんからのメッセージ」展は、静岡福祉大学附属図書館で7月31日(火)まで開催しています(土曜日・日曜日・祝日休館)。

小泉八雲隠岐来島120周年記念事業、いよいよ開幕

1892(明治25)年、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、松江から熊本に転勤してから初めての夏休みを、セツ夫人を伴う西日本各地への旅行に費やし、8月には島根県の隠岐諸島を訪れました。その旅に取材した作品が、著書『知られぬ日本の面影(日本瞥見記/Glimpses of Unfamiliar Japan)』に「伯耆から隠岐へ(From Hoki to Oki)」と題して収められています。

八雲が隠岐の旅でとりわけ気に入った中ノ島(隠岐郡海士〈あま〉町)を中心に、八雲の来島120年を記念する行事が、いよいよ24日(木)に幕を開けます。その催しの見どころをご紹介するとともに、今回ご来場いただけない方にも今後役立つ(かも知れない)オマケ情報をお届けします。

先頭を切るのは「八雲の軌跡をたどる・隠岐3島、2泊3日の旅」(申込は締め切られました)。「伯耆から隠岐へ」と同じく伯耆の国・境港(鳥取県境港市)を 24日(木)に出港して、西郷(隠岐郡隠岐の島町)、中ノ島(同海士町)、西ノ島(同西ノ島町)を海路で巡り、 七類港(松江市美保関町)へと帰ります。 海士町ではシンポジウムと交流会「小泉八雲のオープン・マインドと海士スピリッツ」(後述)にも参加します。

25日(金)の夕刻は、海士町でのシンポジウムと交流会「小泉八雲のオープン・マインドと海士スピリッツ」。地元に伝わる踊りの名前からキンニャモニャセンターと名付けられた会場は、菱浦港のフェリーターミナルを兼ねた施設です。近くには、八雲とセツの宿となった岡崎旅館跡の広場があり、“鏡ヶ浦”の名でも知られる菱浦の穏やかな入江を眺める夫妻の銅像がたたずんでいます。シンポジウムは「ハーンの愛した海辺の町のホスピタリティ」をテーマに、地元海士町のほか、美保関(島根県松江市)、八橋(やばせ/鳥取県東伯郡琴浦町)、三角(熊本県宇城市)、焼津(静岡県焼津市)、 サン・ピエール(マルティニーク)からパネリストを迎え、島と海を愛したハーンの精神に迫ります。また、2010年に小泉八雲来日120年を記念して松江で開催された「ハーンの神在月」、2011年熊本における来熊120年記念イベントに続き、全国各地の小泉八雲関係団体のみなさんが集まる機会にもなりそうです。

25日(金)からは同じくキンニャモニャセンターで、「ラフカディオ・ハーンとギリシャ:原風景と受け継がれる精神性」展が始まります(会期末は明らかではありませんが、少なくとも約1か月間は開催される模様です)。同展は、松江の小泉八雲記念館で2009年に開催された企画展の巡回展です。先年、八雲曾孫の小泉凡さん夫妻が、ハーンの生誕地であるギリシャのレフカダ島と、ハーンの母ローザ・カシマチの生誕地キシラ島を訪れた際の写真のパネルと解説を中心に、ギリシャ出身のアート・コーディネイター、タキス・エフスタシウ氏が松江市と海士町に寄贈したギリシャの美術・工芸品が展示されます。

本土から隠岐へフェリーで渡るには、七類港または境港を利用することになります。七類港のある松江市美保関町には、やはり八雲の愛した美保関という港町・門前町もあります。また、七類港からはJR松江駅との間に直行バスが運行されていますので、八雲が1年余を過ごした“神々の国の首都”へ立ち寄るにも便利です。松江の小泉八雲記念館の企画展「『知られぬ日本の面影』への旅:高嶋敏展写真展」も、ぜひこの機会にご覧ください。同展で隠岐を取り上げるのは10月に始まる後期展ですが、現在開催中の前期展では、“神々の国の首都”松江・出雲をクローズアップしていますので、松江での寄り道先には欠かせません。

そして境港といえば、今や山陰を代表する観光地のひとつになった、妖怪ブロンズ像の立ち並ぶ水木しげるロード。駅前の古い商店街が妖怪たちと手に手をとって活気づく不思議な街です。

来島120年、小泉八雲の足跡を訪ねる隠岐の旅と寄り道を楽しむ機会にしてみて下さい。