投稿:2009年12月07日(月)
小泉八雲旧居(松江市北堀町)の訪問者が記帳した芳名録を八雲会が写真撮影・製本し、旧居所有者の根岸道子氏に贈呈しました。
2009年12月4日『山陰中央新報』
小泉八雲の「芳名録」 30冊に2万人の署名
内田融(八雲会常任理事)
[再掲]2009年11月1日『山陰中央新報』
松江の八雲会 ヘルン旧居芳名録を製本
投稿:2009年11月29日(日)
アメリカで発行されているSmithsonianという雑誌の特別号(09.9)に松江とハーンが紹介されている。Serene Japan(静謐な日本)というタイトルを付けて見聞記が載っている。筆者はFrancine Prose という女性で、カメラマンとともに、4月桜の終わりの頃この地を訪れた。
松江では、ボランティア・ガイドのC.K.さんが案内。
月照寺、小林正樹の映画「怪談」、ハーンの生い立ち、日本女性との結婚、出雲大社、松江、堀割、松江城、小泉八雲記念館、八雲旧居、城山稲荷神社と話題の場所を巡っていく。
松江のところでこんな文章が目にとまった。
水の都(the “City of Water”)松江には、17世紀築城の城を巡る長い堀割がある。晴れた日は、水面に光がきらきら反射して、ヴェネチアの淡い赤みがかった輝き(aura)と北カリフォニア海岸の外洋性のまぶしさ(dazzle)とが溶け合っている趣がある、といっている。
小泉八雲記念館では、ハーンが特注した高い机がよほど印象に残ったらしい。
駆け出しの作家はハーンのように一旦作品を書き終えたら、引き出しにしまい、時を置いて取り出しては推敲を重ねて望ましい一編に仕上げていくべきだと言っている。
ハーンに関したところを取り上げてみる。
背は低く、目は不自由で、アウトサイダーであるとみていたが、日本で始めて地域社会への帰属意識を経験した。日本名小泉八雲と改名したが、自分自身は未知(unfamiliar)の社会を絶えず探求しようと努力する外国人とみなしていた。伝統と変革という二つの問題に関心を払っていた。その作品は帰化した国をエギゾチックにそしてロマンチックに書きすぎたと批判されているが、日本では今までも愛着をもたれ、よく読まれている。
今なお、日本人がこころに描くハーンはハーンが日本の文化を取り入れ、それを西洋世界の人に理解させようとした熱意にあったと一般的には思われているが、—ここで、クリストファー・ベンフィー(Christopher Benfey)の『グレイト・ウエイヴ』(The Great Wave)が引用される。
ハーンは外国旅行者の行儀の悪さを軽蔑し、西洋を模倣しようとする日本人の意気込みを嘆き、西洋の識者の中でも、日本人の怒り、特に日本にいる西洋の旅行者や在住者への日本人の怒りを声高に論じたのは、ハーン以外に殆どいなかった。ハーンは古い時代の霊的な(ghostly)「遺物(survivals)」を理想化して, かすんだもやを通して昔の日本を見た。
Proseさんはこの典型として八雲旧居の庭をあげている。同じ文脈で城山稲荷神社のキツネの群れに触れている。
松江の「霊的遺物」を見た後、Proseさんはこんな感想を述べている。
この時点で、わたしもハーンが真っ逆さまに転げ込んだ落とし穴−古い日本、失われた日本をロマンチックに美化し、1990年代にバブル崩壊と不況の10年を経験し、現在われわれと同じようにまた経済危機に直面しているこの過密日本の現代の厳しい現実を無視するという陥穽に陥ったかもしれないと感じているのだ。
Prose さんは、松江から萩へと旅を続ける。この紀行の終わりをこんな風に結んでいる。
この客人を歓迎し魅惑的な、古いものと新しいものが融合した日本において、来るまでは分からなかったことだが、なぜハーンがその魔力(spell)のとりこになって、日本を脱することはできなくなり、この地で、長い放浪を終え、ようやくこの上ないこころ穏やかな気持ちになったかが理解できた。
(なお、雑誌Smithsonianは常松正雄氏から紹介されたものである。深く感謝したい。)
Smithonianに掲載された記事は、同誌のホームページでも読むことができます。
→Finding Serenity on Japan’s San-in Coast (Smithsonian Magazine)
タグ: Smithsonian, 雑誌記事
投稿:2009年11月26日(木)
※本書の取扱所を記載しました(2009年12月5日)。
日野雅之・八雲会副会長の著書『松江の俳人 大谷繞石—子規・漱石・ハーン・犀星をめぐって』(今井出版、2009年9月11日発行)が刊行されました。著者から紹介文が届きましたので、掲載します。
松江生まれの俳人、大谷繞石(ぎょうせき)、本名、正信は、島根尋常中学校で、ラフカディオ・ハーンに学び、愛弟子としてかわいがられ、熊本転勤の折りには、生徒代表として謝辞を述べた。仙台二高では、高浜虚子、河東碧梧桐と知友となり、東大入学後には子規庵に通って俳句を学んだ。偶然にもハーンも講師として東大に転勤となり、再びハーンに学ぶことになり、ハーンの研究資料収集係となり、報酬を受けて苦学生だった繞石は卒業することが出来た。英文学の大学講師となってからは、俳句仲間として、英文学仲間として、夏目漱石と交際するようになり、金沢四高教授の時には、十代の室生犀星に俳句を指導した。
ラフカディオ・ハーン没後、小泉八雲全集の三分の一を翻訳した。また、俳句においては、俳句混迷の時代にも、終始、定型写生の基本を守った俳人でもある。
このたび、繞石の評伝『松江の俳人 大谷繞石—子規・漱石・ハーン・犀星をめぐってハーン・虚子、碧梧桐』を刊行しました。ご一読いただければ、幸甚に思います。
日野雅之
本書の概要は下記リンク先に掲載しています。あわせてご覧ください。
投稿:2009年11月25日(水)
9月から11月にかけて『山陰中央新報』に掲載された小泉八雲および八雲会関連の記事です。
2009年9月6日 『山陰中央新報』
松江で小泉八雲ゆかりの地をめぐるツアー
※琴ノ浦まちおこしの会(鳥取県琴浦町)のみなさんが「へるんツアー」で、加賀の潜戸などを訪問。八雲会の日野雅之副会長が解説を務めました。
2009年10月25日『山陰中央新報』
日野雅之著『松江の俳人 大谷繞石(ぎょうせき)』 復権願い業績つぶさに
風呂鞏(八雲会会員、比治山大学非常勤講師)
※日野雅之副会長の新著の書評。同書は、島根県尋常中学校と東京帝国大学で八雲の教えを受けた大谷繞石(正信、1875-1933)の、俳人としての業績の再評価を試みています。
2009年11月1日『山陰中央新報』
松江の八雲会 ヘルン旧居芳名録を製本
※小泉八雲旧居(松江市北堀町)の訪問者が記帳した芳名録を八雲会が写真撮影・製本し、旧居所有者の根岸道子氏に贈呈しました。
投稿:2009年10月14日(水)
投稿:2009年09月30日(水)
7月8日に逝去しました小泉時氏(小泉八雲令孫)の追悼記事が『山陰中央新報』に掲載されました。その全文をご紹介します。
2009年8月6日『山陰中央新報』
誰からも愛された人生—小泉時氏の逝去を悼む—
風呂鞏(八雲会会員、ラフカディオ・ハーンの会主宰)
※山陰中央新報社および筆者の許可を得て掲載しています。
投稿:2009年09月27日(日)
参加者のみなさん、よくがんばりましたね。受賞者のみなさん、おめでとうございます。
タグ: ヘルンをたたえる青少年スピーチコンテスト, 八雲会
投稿:2009年09月26日(土)
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、1904(明治37)年9月26日午後8時過ぎ、東京・西大久保の自宅で心臓発作のため亡くなりました。享年54。
八雲は亡くなる1週間前にも心臓発作に襲われましたが、その後、勤務地の早稲田大学での講義は通常通り行い、亡くなる当日も、松江・熊本時代の教え子で、満洲に出征していた藤崎八三郎(旧姓・小豆沢)から届いた手紙への返信をしたためていました。八雲の絶筆となった藤崎宛の手紙は、松江の小泉八雲記念館に収蔵されています。
今日26日から明日27日にかけて松江市内で開催される、八雲にちなむイベントは以下の通りです。この週末は八雲をしのびつつ、これらのイベントに足を運ぶのはいかがでしょうか。
タグ: ヘルンをたたえる青少年スピーチコンテスト, 八雲忌, 小泉八雲記念館, 松江市立中央図書館, 藤崎八三郎
投稿:2009年09月21日(月)
『山陰中央新報』に掲載された『新・小泉八雲暗唱読本』のレビューの全文をご紹介します。
『新・小泉八雲暗唱読本』は、9月27日(日)開催の「ヘルンをたたえる青少年スピーチコンテスト」のテキストして、参加者のみなさまにご愛用いただいています。
2009年7月31日 『山陰中央新報』
「新・小泉八雲暗唱読本」に寄せて—声を介した過去と現在—
長岡真吾(島根大学法文学部教授)
※山陰中央新報社および筆者の許可を得て掲載しています。
タグ: ヘルンをたたえる青少年スピーチコンテスト, 八雲会, 山陰中央新報, 新・小泉八雲暗唱読本, 新聞記事, 長岡真吾
投稿:2009年09月19日(土)
昨年度ご好評いただきました八雲会主催の講座シリーズ第2弾「小泉八雲をよもう2009」が始まりました。昨年度に引き続き、常松正雄氏(島根大学名誉教授)を講師として、小泉八雲の「怪談」「奇談」を、参加者のみなさんと読み進めていきます。
9月11日(金)の第1回は「青柳のはなし(The Story of Aoyagi)」(『怪談(Kwaidan)』)と「いつもあること(The Matter of Custom)」(『骨董(Kotto)』)を読みました。
このうち「青柳のはなし」は、大名の使者として都へ向かう友忠という若い武士が、柳が生えた丘にある家に宿を借り、老夫婦とその娘の青柳に出会うところから始まる、劇的な展開を持つ恋物語です。講座では、「青柳のはなし」のもとになった物語=原話(元禄年間の浮世草子『玉すだれ』所収の「柳情霊妖」)との比較や先行研究を踏まえて、原話にはない設定(例えば、友忠が遣わされた細川侯が美人好きであるという設定)や、西洋の読者を意識した解説的な話の進め方(例えば、武士の結婚には主君の許しが必要であるとの説明)など、八雲による原話の書き換えの妙が随所に効果的にあらわれ、今日でも面白く読める物語に仕上がっている……ということが読み解かれていきました。
講座は来年2月まで月1回開かれます。まだ定員にわずかですが余裕がありますので、参加をご希望の方は以下のリンク先をご覧の上、八雲会事務局までお申し込みください。
投稿:2009年07月01日(水)
「八雲会ブログ」には、八雲会の活動や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)関連行事の報告、八雲に関する話題を随時掲載します。
八雲会の会誌『へるん』や「八雲会報」が従来になってきた役割の一部と重複することになりますが、八雲会の会員や松江在住者以外の方にも小泉八雲や八雲会への関心を持っていただける、コンスタントな情報提供の場としてブログを設けました。
折に触れて「八雲会ブログ」をチェックしてみて下さい。よろしくお願いいたします。
タグ: 八雲会