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震災後のみちのくで:八雲曾孫・小泉凡さんの東日本大震災被災地リポート

5月、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の曾孫・小泉凡さん(島根県立大学短期大学部教授、八雲会名誉顧問)が、東日本大震災の被災地を訪問、仙台を拠点に活動する「みちのく八雲会」(門間光紀代表)のみなさんと面会しました。小泉凡さんからお寄せいただいたリポートを、以下に掲載します。

震災後のみちのくで

文:小泉凡

5月の連休に、震災後はじめて仙台と石巻を訪ね、お見舞いの気持ちを込めて「みちのく八雲会」の皆さんと懇談してきました。同時に4月以降に八雲会に寄せられた義捐金と松江市在住の会員からご提供いただいた、和菓子とコーヒーを持参し、大いに喜んでいただきました。

石巻イオンで、みちのく八雲会の会員の皆さんと。左から2番目が小泉凡さん。(石巻市)

石巻イオンで、みちのく八雲会の会員の皆さん。(石巻市)

5月4日は石巻へ。被害の少なかった郊外のショッピングセンター・イオンに門間代表を含め8名の会員の方が参集してくださいました。そのうち6名までは家も車も失われています。壮絶な非難体験談をうかがいました。以下に抜粋して紹介します。

「地震当日、石巻線の陸橋の上で吹雪の中、娘と手をつないで一夜を明かした。通りかかった鮮魚トラックが中身を捨てて、発泡スチロールで囲いをつくり仮設トイレを作ってくれた。」「べそをかきながら、夫と山路を避難した。姉の嫁ぎ先をめざしたが、暗くなってきて、心細くなり、まるで曽根崎心中だった。通りかかった車に手をあげると若い青年で、どこまででも送ってくれると親切だった。でも彼はガソリンも食料もほとんどなかったので地震直後にコンビニで買ったおにぎりをあげた。親切なコンビニの店員はその5分後に津波で流されたはず。そのことを思い出すと悲しい。」「私は昭和23年3月11日生まれ。夜には誕生日を祝ってもらうことになっていた。だから3月11日は私にとってリセットの日。」「嫌いだった人が死んでこんなに悲しい。生き方を変えなければと思った。」「近くの学校の3階に避難した。窓にSOS 1600人と書いた。自衛隊のヘリが降りてくれた。3日間食べ物がなかったが、女子高校生がお金を出し合ってお菓子を差し入れしてくれた。嬉しかった」。

心温まる美談もありました。「転居届を提出したわけでもないのに、自宅あての郵便物が、避難先の実家に届けられた。近所の人に訊いて届けてくれたのだろう。日本人は何と勤勉で親切!」「行政はとりあえず犠牲者の遺体を土葬して、後日あらためて火葬することに決定。棺を10体並べてまとめて供養する予定だったたが、若いお坊さんたちが、『それはない!短くても一人ずつお経を!とネットワークをつくって行政に陳情し、個人供養を実現させた』」「イギリスの支援チームに、皇太子の結婚式で帰らなくていいのですかと尋ねると『被災地支援の方がずっと大切だ』といわれ涙が出た」「瓦礫から掘り出された遺体の中に、赤ちゃんを抱きしめたままのお母さんがいた」。

ハーンの大雄寺の子育て幽霊譚の再話には、時空を超えたtruth(真理)が本当にあったのだと感じました。その後、2名の会員の方のご案内で被害の大きかった南浜地区へ。瓦礫の中に立つ廃墟のような小学校は真っ黒にコンクリートが焦げていました。津波で流された何台かの車が学校の前でぶつかりあって炎上し、火災が発生したのです。そこに近い墓地では9割型の墓碑が倒れていました。でもそれを起こして地蔵やこけしが奉納される風景がありました。祖先信仰の強さを感じるとともに、ハーンが「地震と国民性」で説いたように、この国には不変の安住地はないということを思い知らされました。

南浜の小学校。津波でぶつかりあった車が炎上し、学校が焼ける。(石巻市)

南浜の墓地。こけしを奉納する光景。(石巻市)

その後、門間代表のふるさと、東松島市の野蒜へ。驚いたことに、JR仙石線の線路や駅や踏切が痕跡さえもなくなっていました。門間さんもご実家を失われました。海岸の美しい松林はニューオーリンズのバイユーのごとく濁った沼沢地と化していました。しかしそこから蛙の声が!新しい命の力強さに嬉し涙が出ました。

東松島市野蒜。美しい松林が沼沢地に。

5日、仙台では8人の会員の方にお会いしました。「稲むらの火」のCD作成時にナレーションを担当したアナウンサーの高杉さんのお話し。「地震当日、海岸に近い宮城野区で新社屋オープンのためにセレモニーの司会をしていた。その社屋は1時間後に津波でなくなった」。

嬉しかったのは、八雲会が3月末の時点でお送りした義捐金の一部で門間代表はただちに洗濯機を購入し、会員がリ−ダーをつとめる石巻高校の避難所へ運び込む。312人分の洗濯にフル稼働したのです。石巻は次の復興段階に入ったため、現在、洗濯機は気仙沼の避難所で活躍しています。日本赤十字や行政に寄せられた義捐金はいまだプールされたままで生かされていません。

みちのく八雲会には、昨年、ハーンの神在月サミットに松江に集った各地の関連団体から支援の手が差し伸べられています。緩やかなネットワークが自然に形作られたのだと想像します。これもサミットの実践的な成果です。

「痩せたくても痩せられなかったのにみんな痩せちゃたね」でも、「きれいさっぱりなくなってすっきりした。ものを追い求める価値観は自然に消滅した」と、皆さんが仰います。ハーンが「極東の将来」で説いた、「生存最適者は自然と共生でき、シンプルライフを送れる人たち」という文言をあらためて重く受けとめ帰松しました。

最後に、被災地で強く感じた3つのことをお伝えします。津波から逃れるには、防潮堤を信頼しすぎることなく、高台にすみやかに徒歩で避難することが時を超えた鉄則だということ。だから「稲むらの火」は防災教材として今後も小学校で活用して欲しいと思います。つまり自然を支配しようとするのではなく畏怖する謙虚さを継承することが大切なのです。次に被災地への支援は自分のできることを無理なくする。できればピンポイントでNPO団体などと連絡を取り合えば必ず有効に生かされます。公的機関に寄せられた巨額の義捐金は6月上旬段階でまだ3割しか被災地に還元されていません。最後に、長い避難所生活から不安を訴える子供たちが増加傾向にあります。思いきりハグができるおとなが求められています。今こそ若者の出番です!

みちのく八雲会の会員の皆さんと。(仙台市)

(このリポートは「八雲会報」第48号にも掲載されています)


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